遊   行   寺

 私が住む藤沢の町には、片瀬に龍口寺、西富に遊行寺と言う大きな寺が二寺あります。此処では遊行寺について記しましょう。
 遊行寺の正式な寺名は「時宗総本山藤沢山清浄光寺」と言いますが、別名「遊行寺(ゆぎょうじ)」と呼ばれ、今は誰からも親しまれております。宗主は、四国伊予の国生まれの一遍上人です。一遍上人は、十三歳で九州浄土宗西山派に入り、浄土宗を学びましたが、父君の死で一度故郷に帰り、三十三歳で再び出家して熊野本宮で啓示を受け、他力念仏の奥義を悟ったと言います。それ以来「南無阿弥陀仏」と唱え、お札を渡して念仏を広めるために遊行賦算を始めたのだそうです。
 遊行寺は、踊念仏で知られておりますが、一遍上人は片瀬の地蔵堂で四ヶ月以上踊念仏を広め、全国に遊行賦算の旅を続けたのだそうです。
 時宗は、鎌倉時代の浄土教の一宗派で、信心のないものや、下級階級のものでも等しく救われると説き、全国に救済のお札を配り、踊念仏によって人々の心をとらえ、庶民の人気を得た宗教です。一遍上人は、寺をたてず、宗派もたてず、生涯を遊行ですごし、1289年五十一歳の年に摂津国の観音堂で臨終を迎えたそうです。
 生涯遊行賦算を続けた一遍上人の死後、弟子達が遊行を引継いで、時衆(後の時宗)が生まれました。弟子達は遊行をしながら各地に道場(寺院)を設けて、室町時代には一大勢力を築いたと言われます。総本山の清浄光寺は、第四代の遊行上人呑海が、1325年に出身地に寺を建てたのが始まりだそうです。
 時宗では、他力本願、一切衆生、無欲無心無我に「南無阿弥陀仏」を唱えて阿弥陀仏になりきるとき、現世において浄土往生が約束されると説いております。
 遊行寺の総門は、日本三大玄門の一つとされ、江戸中期の建造されたそうで、総門から続く石段は阿弥陀様の四十八願に喩えて「四十八段」とも「いろは坂」とも呼ばれてるそうです。その他にも、浄瑠璃で有名は小栗判官照手姫ゆかりの寺でので小栗判官照手姫の墓もあります。
 そして、徳川幕府から江戸市中の金魚、銀魚(白色)を所持いたすものは、その数など正直に報告し、差し出すべし。と言って集められた金魚、銀魚が、何故か知りませんが、此処遊行寺の池に放流されたと言う事です。その放生池はこの寺の中雀門の中にあると言います。





  宗  派  時宗    
  山号寺号  藤澤山無量光院清浄光寺   
  別  名  遊行寺   
  宗  祖  証誠大師 一遍上人  
  開  宗  鎌倉時代(1274年)  
  本  山  遊行寺(清浄光寺) 
  本  尊  阿弥陀如来